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アゼルバイジャン記2話「キンキュウジタイショウそれは何の大賞ですか?」 [旅(Travel)]

002-05・アゼルバイジャンの子供たち・1・510.jpg

+アゼルバイジャンの子供たち
+Azerbaijan children

○今回の旅行はビザにしてからが大変だった。

日本とアゼルとは良好な関係を持ち、
ビザの発給は無料だが、
手間が恐ろしく掛かった。

東京に大使館があるだけなので、
友人の森下さんにお願いし、
書類を提出して頂いた。

4月9日(火)に提出して頂くと、
「ビザ取り扱いは月と木だけです。」
と一旦返されてしまったそうだ。

次の4月11日(木)に再提出頂き、
「問題ありませんか?」
「ありません、1週間後に出来ます。」

次の次の4月18日(木)受領にお出かけ頂くと、
「E-VISA(ネット経由の申し込み)が足りません。」
「えー!」

また振り出しに戻り、
その日中にネット申請を行うも、
次週初めの月曜22日にはまだ出来ず、
更に次の木曜との約束になる。

だがここで問題が出てくる。
その木曜とは4月25日。
次の月曜となると4月29日「昭和の日」。
つまり祝日で大使館はお休みだ。

もし4月25日(木)に発行されなければ、
招待されておきながら、
入国できない事態に陥る。

事務局に助力を求めるメールを書く。

すると4月24日(水)に大使閣下からお電話頂き、
明日25日(木)か26日(金)午前には出来るので、
確認の電話をするようお伝え頂く。

翌4月25日(木)朝9時にお電話すると、
「今日中には出来ます。」との事。
ホッとして「ありがとうございます!」

「ところでキンキュウジタイショウと関係ありますか?」
「キンキュウジタイショウ?
済みません、それが何か解りません。」
(何かの大賞(コンテスト)だろうか?)

「英語言うとMinistry Of Emergency Situationsです。」
「ああ!『緊急事態省』ですね!」
閣下によると緊急事態省から、
何故ビザが下りていないのか、
確認電話を頂いたとの事。
事態が大袈裟になっている事に一人驚く。

結局ビザは4月26日(金)に発行された。
大使館の皆さん、大使閣下、アゼル政府の皆さん、
事務局の皆さん、受け取って下さった森下さん、
その他関係者の皆さん、
本当にありがとうございました!

・・・国旗をぶら下げたメルセデスは、
空港から出て市中へ走る。

見事に英語の話せないおじさんは、
「ハローはサラーム!」
などと教えてくれている。

おじさんは「コリア(韓国人)?」と訊く。
「ノー、アイム・エイ・ジャパニーズ」。
「オー・ジャポン・イズ・グッド!」。
親指をグッと出してくれる。
やはりアゼル-日本の関係は良好らしい。

『日本語でサラームは何だ?』
「こんにちは、です」
「コンニチハ!」

案外発音は悪くない。
カンは良いのだろう。

アゼルは石油で潤う国だが、
貧富の差は結構あると言う。
街中の写真を、
あえて解説抜きに並べよう。

002-1・空港から「市内」・510.JPG

中心部に入ると人と車で大渋滞だ。
信号は無い所が多い。
おじさんは滅茶苦茶にハンドルを切り、
クラクションを鳴らす。

トランクからバッタの羽のように、
積み切れない自作品が飛び出ているから、
他の車に当たりやしないかヒヤヒヤだ。

それには無関心のおじさんは、
何か解らない事を言う、
「ロシア」と聞こえたようなので、
「ロシア?」と返すと、
「プーチン」と言う。

アゼルのすぐ北がロシアなので、
何かロシアに関係したものがあったのだろう。
写真からも察せられるように、
ここは想像以上に「ロシア圏」だった。

街頭に独立後初の大統領、
(※独立後3代目の誤りでした。訂正いたします。)
「ヘイダル・アリエフ」の写真がある。
(現地の発音では「ヘイダー・アリエーブ」と聞こえた)

002-2・ヘイダル・アリブ・510.jpg

『前の大統領だ。ほらこれが今の大統領。』
おじさんは大事そうにヘイダル・アリエフと、
現大統領イルハム・アリエフの、
記章を見せてくれる。

続けて何か解らない事を言い、
眠っている動作を見せる。
どうやら前大統領が亡くなった事を、
意味しているようだ。
「アイム・ソーリー・アバウト・イット。」

車は「ポイント・ホテル」に付く。
トランクから突き出ていた自作品を、
降ろして確認してみると・・・
額の内部が少し破損している。
強引だったが親切でもあった、
英語を話せないおじさんには、
やはり黙っておく事にする。

002-3・ポイント・ホテル・510.jpg

親しみやすいフロントの男性に鍵をもらい、
案内された部屋は実用的。
次の日は韓国人の方も同室だと言う。

002-3・ポイント・ホテル「部屋」・510.jpg

『ところでコンセント変換器はありますか?』
『係りに持って来させましょう。』
そうコンセントの形が違うのだ。
変換器と当地のコンセントはこんな感じ。

002-4・ポイント・ホテル「変換器」・510.jpg

ここでも日本は良い所だと言われる。
良好な国際関係の重要性を感じる。
イノセ氏のイスラム蔑視発言は問題外。

着替えて再びフロントに行くと、
受付は別の男性に替わっている。
(しかしやはり親しみやすい)
「公園はありますか?」
「すぐそこです。海の近くにもありますよ。」
よーし公園を走ろう!

機内の冷房で鼻水が止まらず、
風邪を引きかけているが、
走った方が気分も変わる。

途中で子供たちにあい、
「ハロー!」などと揉みくちゃにされる。
この人懐っこさは日本で言えば1970年代。

01-05・アゼルバイジャンの子供たち・1・510.jpg

入国が制限されているこの国では、
外国人が珍しいのだろう。
名前を尋ねられ握手攻めにあう。
「ナーギー!」

続けて公園まで走るが、
例によって信号が無い。
命がけで車道を横切る。

002-06・歩道を横切る・2・510.jpg

公園でも大人たちが、
好奇の視線を投げかけるが、
さすがに声は掛けてこない。
巨大なロシア風公園だ。

002-07・巨大な公園・2・510.jpg

そんな公園でもいかなる容赦も無く。
10本往復の全力走をして片足スクワット。

ホテルに帰ってジムで一人空手の練習。
ジムにはプールが付いているが、
あいにく水着が無い。
作品を含めて荷物が一杯で、
冗談抜きでパンツ一枚入れるスキマも無かった。

002-08・室内プール・510.jpg

7階の展望レストランで夕食を食べる。
7時だが昼間の明るさだ。

002-09・展望レストラン・510.jpg

フロントで勘定を払おうとすると、
『アルコール以外は事務局持ちです。』
ありがとうございます!

次の日は朝5時に起きた。
引きかけた風邪は治っていたが、
置いてけぼりを喰う事態が待っていた。

(つづく)

002-09・展望レストラン「町並み」・510.jpg

+++++++++++++++

「アゼルバイジャン記」2話です。

太陽が眩しく夜7時まで昼の国、
アゼルバイジャン。
多くの人が親日的で優しいです。

次回は5月27日(月)更新予定です。
よろしくお願い致します。

では!
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アゼルバイジャン記1話「ディプロマティック・パーソン」 [旅(Travel)]

001-5・「作品梱包」・510.jpg

+ナギ作品封筒
+The envelope of Nagi's work.

○いつも通りギリギリの準備だ。

前日の4月30日は授業だった。
西区民センターでデッサンを教えて帰宅。
当日準備をするというドロナワぶりだ。

もっとも持ち込む作品だけは、
前々日4月29日の月曜日に、
4時間かかって梱包しておいた。

重量16.5キロ。
縦110センチ・横146センチ、
巨大な封筒になっている。

トルコ航空は長辺158センチ、
重量20キロ・個数2個、
まで無料で受託できる。

もう1個は「折り畳みイーゼル」と、
「カッターナイフ」を同梱したもの。
刃物は機内に持ち込めないからだ。
こちらは1キロ弱で合計17~18キロ。

アゼルに付いた後で、
撮影した「封筒」が冒頭の写真だ。
「ART WORK
JAPAN←→AZERBAIJAN
HANDLE WITH CARE」
ウラオモテに大書した(長旅で少し破れている)。

関空では・・・
「大切に取り扱いますが、
万一破損した場合、
保険適用外になっております。」
とトルコ航空の素敵なハーフ女性に、
丁寧ながら明確に伝達頂く。

搭乗口は2番口。
22:30離陸だから、
20:30の同口には、
一番乗りで人気も無い。

アゼル事務局にメールする。
バクー到着後どうするべきか、
迂闊にも確認していなかったからだ。

かてて加えて常用メールの、
パスワードをド忘れし、
何度も入力を失敗した挙句、
第2メールで質問する。

席は4人掛けの通路席。
いつも通り痛風防止に歩き回るためだ。
真ん中は2つ空いている。

反対側の通路席の方に確認し、
すぐ隣の席に荷物を置かせて頂く。

離陸後すぐに飲み物が出るが、
単にノドを潤す目的なのか、
食事も後で出るのか判らない。

質問すべきか迷う頃には、
食事が出てくる。
ご飯か魚かを選べて、
ご飯なら「お好み焼き」も付いてくるから、
ご飯を選んだ。

食べ終わると日本時間0時に近い。
イスタンブールとの時差は何時間なのか?

『6時間』
『早い遅い?』
『えーっと混乱しちゃった・・・
パスト(過去)。』

乗務員のトルコ女性は答える。

今は日本時間0時10分、
イスタンブール18時10分。
時計の針を修正する。

到着時刻は5時35分。
およそ11時間後だ。

浅い眠りで度々目を覚まし、
機内を歩き回りながら、
断続的に眠る。

赤ん坊の泣き声で、
完全に眠りを破られた午前3時前。
すでに食事の準備は始まっている。

チーズの盛り合わせなどを、
朝食として食べコーヒーを飲む。
情報画面に映し出された、
到着予定時刻は4時27分に早まっている。
2杯目はミルクティーを注文する。

機は件の表示どおり、
午前4時27分に着陸する。
無事の着陸はいつもながらホッとする瞬間だ。

空港の片隅でワイファイを探し、
それらしいのを見つけ接続するも、
どうも様子がおかしいので、
メールを確認せず即切断。
バクー到着後どうするか、
結局わからずじまい。

午前5時前から7時過ぎまで、
搭乗口すら決定されない。
窓の外は少しずつ明るくなる。

001-1・明るくなる「暗」・510.JPG

001-2・明るくなる「中」・510.JPG

001-3・明るくなる「明」・510.jpg

しばらく外をデッサンしていると、
電光掲示板に「310」搭乗口と出る。
場所をトルコ人男性係官に質問するも不親切。
イノセ発言の影響だろうか?

歩きながら「310」を見つけ出す。

001-4・「310」・510.JPG

係員の男性に・・・
「バクー行きですか?」
「そうです。搭乗券を見せて。」
・・・ハンコを押してくれる。

しばらくして移動バスに乗り、
タラップを上がって機内へ。

2時間の短い飛行でバクーへ。
機内食は「Turkish style cheese pastry」
チーズ風味で薄皮を重ねたような食べ物。
結構おいしい。

到着したバクー空港で、
「foreigner(外国人)」の列に並び、
入国手続きを待っていると、
突然「名前」を呼ばれる。

ビックリして「イエス!」と答えると、
手招きされ、
「diplomatic person(外交上の人物)」の列に、
並ぶよう言われる。

入国審査官の女性と、
「アーユーア・ディプロマティック・パーソン(外交上の方)?」
「アイム・アン・アーチスト(芸術家です)」
チグハグ問答して無事入国。

審査場の内部まで入って来ていた、
気は優しそうだがゴツい、
事務局関係者らしいおじさんに
(英語は全く話せない)、
作品をカートで押して頂き空港を出る。
気温は暑い。

001-6・カートを押す「ナジーム」・510.jpg

出口ではロシア風軍服の、
おじさん2人に呼び止められ・・・

「それは何?」
「芸術作品です。」
「どんな技法?」
「こんな(と名刺を見せ)技法です。」
「イワサキナーギー」

・・・無事通過。

外ではメルセデスが停まっている。
確かに良い車だが作品に対しては、
いささか小さ過ぎる。

「ノープロブレム」とゴツいおじさん。
アチコチ破りながら(作品だから丁寧に!)、
無理にネジ込み、
車は空港を出発した。

(つづく)

001-7・アゼル国旗「メルセデス」・510.jpg

+++++++++++++++

今週から始まりました「アゼルバイジャン記」、
いかがでしたか?

速報ですがアゼル展覧会が好評だったため、
トルコにも招待して頂ける可能性が高まりました。
詳細は決定後ご報告します。

いつもお越し頂きありがとうございます。

次回は5月20日(月)更新予定です。
よろしくお願い致します。

では!
タグ:アゼルバイジャン Azerbaijan フィレンツェ・ビエンナーレ The Florence Biennale スポンサー募集 アート 芸術 美術 岩崎ナギ サロンドートンヌ パリ Salon d'Automne Paris NY個展 100人展 ニューヨーク  Solo exhibition Ouchi Gallery ヲウチギャラリー olo exhibition Ouchi Gallery ヲウチギャラリー オハイオ Ohio ハドソン・ギャラリ HUDSON GALLERY メリット賞 Merit Award ホームズスタジアム神戸 川田画廊 KAWATA GALLERY  個展 private exhibition デッサン 鉛筆画 素描 dessin sketch 神戸市 西区民センター デッサン講座 美術教室 The New Primitive Declaration 新素朴派宣言 フェイスブック潮流 水彩を通じて明るい未来を共有する アゴラギャラリー 日本水彩画会 100周年記念 アニメフェア関西 関西のクリエイター展 デザイン道場 LIVING & DESIGN 2012 ACDC Gallery Re:novel 実用新案 patent   インボルダ iNbolda bolda ボルダ 丸一興業 www.bolda.jp  第25回 日本の自然を描く展 優秀賞 日本芸術センター第6回絵画公募展 入選 Architectural Award 2012 Nominee 1662. What is “iNbolda”? http://www.art-center.jp/ http://www.archiaward.com/2012.php?l=E&m=8&theme=15&Obj=1662&pos=15] http://renovel.org/works/iwasaki.html http://www.kcua.ac.jp/information/?mp=20171 http://www.kcua.ac.jp/information/?mp=25194 https://www.kobe-bunka.jp/course/center-list.php?cid=7&q=&p=1 https://www.kobe-bunka.jp/course/detail.php?csid=422 https://www.kobe-bunka.jp/course/detail.php?csid=423
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アゼルバイジャン記・0話「帰国しました」 [旅(Travel)]

国旗とナギ・1人版「カルチャーセンター前」2013・510.jpg

ナギのために用意された日本国旗
Japan flag for Nagi

ナギ受賞・披露版「カルチャーセンター内」2013・510.jpg

受賞!
Award!

03-06・飾られている「たらい舟」・510.jpg

受賞作・佐渡のたらい舟「グッゲンハイムを全ての人に」
My Work of the Award :
The bowl ship of Sado "Guggenheim For All people"

01-05・アゼルバイジャンの子供たち・1・510.jpg

アゼルバイジャンの子供たち
Azerbaijan children

○おかげ様で無事、
アゼルバイジャンから帰国しました。

思ったよりずっと大掛かりな式典で、
日本国旗がナギのために用意され、
受賞式典では日本を題材にした踊りも、
踊って頂けました。

子供たちはとても人懐っこく、
1970年代の日本のようです。

詳しい報告は次週以降に致します。
いつもご指導頂き、
ありがとうございます。

次回の更新は実際的な指導案になると思います。
5月13日(月)を予定しています。

ではまたその時に!
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オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」・11話「パリ改札突破」 [旅(Travel)]

027・シャルル・ドゴール空港「暮れゆく夕陽」・510.jpg

○シャルル・ド・ゴール空港
○Charles de Gaulle Airport

オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」
11話「パリ改札突破」

◎今日はACDCのプレゼンテーションの日。
パリからは昨日帰ったばかりだ。
時差ボケする暇も無く、
心に緊張が走る。

朝4時には起きて、
飛行機の中で書き上げた原稿を、
改めてPCで電子文章に打ち直す。

出発する朝9時までには、
全ての文章と画像を揃える。
早昼(?)を食べ電車に乗り、
車中で原稿を憶える。

・・・パリの改札は何とか突破できた。

フランス人らしいマダム旅行客が、
普通に通り抜けてようとしている所に、
ナギは近付き話しかける。

『この切符では通れないのですが・・・(英語)』
『(訳が解らないという顔をしてマダム)
この切符なら通れるわよ?(仏語)』

件のマダムは切符を改札機に入れた。
その瞬間!
ナギはマダムの後5センチにくっつき、
改札をすり抜けた。

突破!

今は遠い昔である1980年代初頭ならば、
こうした行為を「ツインビー」と呼んだ所だ。

027・シャルル・ドゴール空港「ツインビー」・510.jpg

○ツインビー
○TwinBee
(C)KONAMI

しかし幸か不幸かその後のバブル狂乱と共に、
80年代はすっかり化石となり、
日本の鉄道の改札もずっと進歩して、
そんな化石の断片は、
完全に使えないようになっていた。

けれども2012年のフランスには、
まだ、生きていたのだ。

特に懐かしくも思えなかったが、
それが帰国できないかも知れない苦境から、
ナギを救った事も確かだ。

空港構内のモノレールは、
中華航空(安い便を押さえられたのだ)の発着する、
ターミナル1へと進んでいく。

027・シャルル・ドゴール空港「モノレール」・510.jpg

○シャルル・ド・ゴール空港「ターミナル1」
○Charles de Gaulle Airport "Terminal 1"

発着ラウンジはまだまだガラガラだ。
スターバックスで一番小さいコーヒーを頼み、
携帯していたカロリーメイトを食べる。
搭乗機は定時に飛び立った。

機内では客室乗務員の方に、
『日本の方ですか?』と英語で訊ねられる。
「イエス・アイム・エイ・ジャパニーズ。」
「初めまして!」(これは日本語)

「し」が「ち」に聴こえる、
ややたどたどしい日本語で、
ニコニコと笑いながら挨拶してくれる。

「オー・サンキュー!」
日本語で言ってくれたのだから、
『ありがとう!』と返せば良かったのだが、
驚いたのでつい英語で返してしまう。

中国が帝国主義を隠すことなく、
世界中を恫喝している最中でも、
中華航空で嫌な思いをする事はなかった。

北京空港で大阪行を待つ間、
トイレに行くと何とシャワー発見!

028・北京空港「シャワー」・510.JPG

ちなみに北京空港では各トイレ毎に、
「トイレ番」とでも言うべきおじさん、
(女子トイレではおばさん)が、
それぞれ配されている。

そのトイレ番の「池乃めだか」似のおじさんに、
「キャナイ・ユーズ・ディス?」と訊ねると、
「イエース!」と頼もしいお答え。

パリからの飛行時間は10時間超で、
体は汗まみれでグダグダ、
服は狭い機内でグニャグニャ。
これではビッと気合も入れにくい状態だ。

シャワーで汗はキレイに洗い流し、
鏡で服はキチンと着なおし、
ビッと気合を入れて出てきたナギに、
池乃めだか風おじさんは、
一瞬目を見張ってから・・・

「オゥ・ケー!」
と力強くグッと親指を出してくれた。
「サンキュウ!」

028・北京空港「池乃めだか」・510.JPG

○池乃めだか氏
○Mr. IKENO Medaka
※著作権上問題がある時はすぐ削除します。

関空からはラピートで神戸方面へ。
帰宅後はスグに眠った。

・・・プレゼンの順番は近付いて来る。
前の順番の方々は皆さんシッカリご説明された。
もっとも緊張のため内容が十全に理解できない。
脳内を言葉が上滑りするだけだ。

3人で1区切りの1組目が終わり、
予定では一旦休憩のはずだが・・・

「次、岩崎さんお願いできますか?」
休憩はナシだ!
仕方がないので・・・

「おはようございまーす!」
と元気に挨拶しながら、
プレゼンテーションの場に出ていった。

(つづく)

029・関空から神戸「ラピート」・510.jpg

○神戸へ!
○To KOBE!

++++++++++++++++++++

飛行機って乗り遅れると、
考えがたい程ヒドイ事になりますので、
この時は何とか乗れて良かったです。

いつもお越し頂きありがとうございます。
次回は2月22日(金)に更新予定です。

では!
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オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」・10話「ポンピドゥー」 [旅(Travel)]

022・ポンピドゥー「前の広場・ジタン&マテラッツィ・題名『頭突き』」・510.jpg

○Center Pompidou : The headbutt!
○ポンピドゥー・センター : 頭突き!

オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」
10話「ポンピドゥー」

◎空港への改札はまだ開かない。

だがそのうちに意外な光景を見た。
やはり切符を持たないらしい、
スキンヘッドのフランス人が、
切符を持った無関係の旅行客の、
ピッタリ後にくっついて改札を突破したのだ。

ジャのミチはヘビ。
かすかな光明が射した。

・・・本当にノロノロ運転だ。
パリ中心部までは1時間もかかるが、
遠いのではなくニッチもサッチも行かない、
「渋滞」が原因だ。

「毎日こうなのよ。」
とナタリー。
実際の時間は半分か3分の1だろう。

2人は出勤だがナギはポンピドゥー。
『美術館はどこが面白いと思う?』
と昨夜2人に尋ねたところ・・・
『ポンピドゥー』
と二人は口を揃えたのだった。

「シャロンヌ通りまで送るよ。
降ろすのと反対側のバス停から乗るんだよ。」
「了解!」

ノロノロノロロノロロノロロロと、
いつまでも進まないようだが、
ついに件のバス停近くまで来る。

角に停めてサッと降りパッと挨拶。
一宿一飯の恩義に謝する。
「また会おう!」

向いまで走って乗ったバスは76系統。
ポンピドゥーまで本当に行くのか?

『知らない・・・』
身振りとフランス語で、
ニベも無く若い運転手が答える。

021・ポンピドゥーへ「バス車中」・510.jpg

○Route No. 76
○76系統

バス運転手なんだから、
知らない、なんて事はあり得ないが、
フランス人に英語で訊くと、
こういう事が起こりがちだ。

仕方が無いのでスキンヘッドの、
親切そうなおじさんに訊ねる。

「3ステップ(3停留所先)」
人差指、中指、薬指、3本立てて、
通過する停留所の数を教えてくれる。

おじさん自体は「2ステップ」先で、
『次だよ!』と軽くナギの腕を叩いて降りていった。
「メルシー!」

停車ボタンを押し、
硬貨をどこに入れるかを、
若い運転手に訊く。

さすがに無視はできず、
『ここに。』と言って指でさし示す。
2ユーロをいれ「メルシー!」
運転手は答えない。

降りると南北(?)に伸びる街路がある。
南と北(だとして・・・)どちらに進むべきか?

021・ポンピドゥーへ「最初の街路」・510.jpg

○Where is the "Pompidou"?
○ポンピドゥーは何処に?

カフェでコーヒーを飲んでいるマダムに、
「エクスキューズ・ミー・マダム・・・?」
とポンピドゥーはどちらか訊ねる。

『向こう・・・』
と指だけをさされた方角に進むと・・・

021・ポンピドゥーへ「反対側の駅」・510.jpg

○The opposite side!
○反対側!

・・・地下鉄のターミナル駅に着く。
要するに「反対側」に着いたわけだ。

マダムが知らなかったのか、
あるいは悪意があったのかだろう。
ポンピドゥーへ引き返す道沿いには、
もうマダムの影も無い。

それでも朝9時にはポンピドゥー・センターに着く。
館前の広場には、
何組もの団体客が先に着いていて、
子供達を中心に賑やかな団欒の輪が出来ている。
変テコなポーズを取り合いながら、
小学生が写真を取り合うさまは世界共通だ。

022・ポンピドゥー「前の広場・小学生記念撮影」・510.jpg

○The world standard scene.
○世界標準光景

ジタンがマテラッツィに頭突きする、
巨大な銅像が立っている。
作品の題はそのまま「頭突き!」。

係員に訊くと開館は11時だそうだ
(またも指を全部広げかつ1本足し教えてくれる)。

2時間もあるので再度道を引き返し、
道沿いのパン屋で細長いパンを買い、
館前広場に戻ってボロボロこぼしながら食べる。
ボロボロは鳩が無駄を許すこと無く食べ尽くす。

022・ポンピドゥー「前の広場・パン」・510.jpg

○Nagi ate the bread, pigeons also ate it!
○ナギはパンを食べ、鳩もまた食べた!

10時半になって本格的な「列」が形成され始めるも、
頓着しないナギは10時45分くらいになってから、
急がずノンビリ並ぶ。

ピッタリ開場されて入ると、
まず「グニャグニャ飛行機」だ。

023・ポンピドゥー内部「グニャグニャ飛行機」・510.jpg

○The flabby plane
○グニャグニャ飛行機

リュックと小型スーツケースを預け、
手ぶら身軽になってから見て回る。

針金で出来たイエス。
踏み潰されるレモン。
回り続ける影絵。

023・ポンピドゥー内部「針金イエス」・510.jpg

023・ポンピドゥー内部「レモン」・510.jpg

023・ポンピドゥー内部「影絵」・510.jpg

○Jesus, Lemon, Shadow.
○イエス・レモン・影

作品もそうだが建築が面白い。
「輪っか」になったアクリル筒の中を、
エスカレーターで昇りながら、
パリの街を遠望する。

朝の光の中でパリの街がサーーーッと拡がっている。
拡がっているのは高層の建物が無いからだろう。
大都市にも関わらず美意識を追求するパリは、
背筋を伸ばした老人のような美しさを放っている。
遠くにエッフェル塔も見えた。

024・ポンピドゥー外部「上からの街並み」・510.jpg

○From Pomidou
○ポンピドゥーからー

エスカレーターを逆方向に降り、
マダムに騙された逆方向の駅に着く。
駅を知るための予行演習だと思えば、
それほど無駄にもならなかった。

次は「ル・ポン・デ・ラルマ」に行く。
フランス国立自然史博物館で勉強を続ける、
FBで友人のノエミが忙しいながらも、
近所のケ・ブランリー博物館を案内してくれるからだ。

ケ・ブランリーは昔「万博公園」で見た、
「国立国際民俗学博物館」にソックリだ。
これはナギ一人の感想ではなく、
「みんぱく」を知る日本人の方に、
共通した感想のようで、
WEB上でも同様の意見を多く見る事が出来た。

人の胎内のような緩い曲線を描く順路を、
首狩り族のミイラなどの説明を聴きながら、
ゆっくりと進んでいく。

025・ケ・ブランリー「入場券」・01・510.jpg

025・ケ・ブランリー「トーテム」・01・510.jpg

025・ケ・ブランリー「彫像」・01・510.jpg

○quai Branly
○ケ・ブランリー

「フランスの植民地政策によって、
ここの収蔵品が集まってきた事には、
複雑な気持ちを憶える。」
とノエミが言う。

「でもそうでなければ今
収蔵品になっているものは、
バラバラに散逸していただろう。」
とナギが言う。

そうだ物事には必ず両面がある。

鑑賞後に電車の途中の駅まで、
ノエミに案内してもらいながら、
件の「空港まで電車案」を教えてもらう。

「必ず『空港行』の列車に乗るのよ。」
降りるまでに3度、注意を受ける。
よっぽどナギが頼りなく見えたのだろう。

ノエミに別れを言って降りた駅を進み、
『空港行』の列車に乗る。
『なんだ簡単じゃないか!』

列車は落書きだらけの壁を見ながら、
空港まで突っ走る。

027・「シャルル・ドゴールへ」・510.jpg

○To Charles de Gaulle!
○シャルル・ドゴールへ!

到着してイザ「空港」に通ずる改札を、
持っている切符で通ろうとすると・・・

以前に記した通りキッパリ開かない。
さて、どうしたものか???

021・ポンピドゥーへ「バス路線図」・510.jpg

○3 step
○「3ステップ」

(つづく)

++++++++++++++++++++

しばらく動いていたパソコンが、
またもや落ちだし、
いつ落ちるかと震えながら、
この記事をアップしています。

次回は2月11日(月)に更新予定です。

では!
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オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」・9話 [旅(Travel)]

019・ジェロームの家「出発の朝」・510.jpg

Nagi in front of Jerome & Nathalie's apartment
○ジェロームとナタリーのアパルトマン前のナギ

オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」
9話「ジェロームとナタリー」

◎パリ帰国の翌日は、
ACDCでのプレゼンテーションの日。

その原稿を往復の飛行機の中で、
必死に書く必要があった。

〆切を落とす強い恐怖感が、
狭い機内でも集中を維持させていた。
むしろ選択肢が限られる分、
却って集中できた程だった。

ただ目下のところ困っているのは、
シャルル・ド・ゴール空港に通ずる改札が、
唯一持っている切符で開かない事。

この改札を通過できなければ、
日本に帰る事も出来ない。

何故開かないのか?
それは自分の切符が2日通し券で、
「空港駅」では降りられない券だからだ。

駅の看板に絵入りで描いてあるから、
まず間違いなくそういう原因だろう。

日本ならこういう場合、
機械なり駅員さんなりで、
乗越料金を精算すれば良いが、
そのどちらもこの駅では見当たらない。

元の駅に戻るのは飛行機の時間上、
もう難しいだろう。

どうしてこうなったのか?
パリで最後に会ったFBの友人、
ノエミに電車でも行けると聞いたからだ。

シルビーはバスが出ているから、
オペラ座前から乗ると良いと言った。

しかし後から聞いた「電車案」の方が、
バス代を節約できるし、
地下鉄からバスに乗り換える手間も減る・・・

・・・そう思ったのだが現実は甘くなかった。
だいたい同一料金で行けるのなら、
そもそもバスの存在意義は無いんじゃないか?
・・・人間が真実に気付く時それはいつも遅すぎる。

昨日はジェロームとナタリーのアパルトマンに、
シルビーの紹介で泊めてもらった。

全くの初対面で話した事も無かったが、
二人とも本当に親切に接してくれた。

特にナタリーは優しかった。
黒人で鼻ピアスをしており、
容色が特に優れている訳でもないが、
長髪でハンサムなジェロームが、
付き合っているのも素直に納得できた。

019・ジェロームの家「ジェロームとナギ(目つぶり)」・510.jpg

○ナギとジェローム
○Nagi & Jerome

019・ジェロームの家「ナタリーとナギ」・510.jpg

○ナギとナタリー
○Nagi & Nathalie

ササッと野菜炒めを作り始める。
とても自然な感じで嫌味がない。

部屋はロック・フェスティバルの写真や、
中指を突き立てるジェロームの写真がある。
ドラムもある所を見ると、
バンドを組んでいたのだろう。
窓の外はパリ郊外の夜の街並みだ。

019・ジェロームの家「窓から外」・510.jpg

○窓からの眺め
○The view from the window.

ゴハンが出来るとこの部屋で食べる。
食卓を囲んで喋りながら食べる。
日本人ときて大体訊ねられるのは・・・
"Do you like MANGA?"

「イエス、アイ・ライク・マンガ.」・・・
確かに好きか嫌いかで言えば、
好きだけれどそればかり訊ねられるのは、
日本が世界に発信している情報の、
偏りと貧しさの表れではないか?

ともあれ「マンガ」の話題。
ジェロームが好きなのは「アキラ」。
80年代の体型80年代の言葉80年代の恐怖。
たとえ未来を描いたとしても、
誰も同時代から逃げ切る事は出来ない。

「あなたはどんな絵を描いているの?」
自作「KFR」が印刷されたハガキに、
「For Jerome. For Nathalie.」と、
それぞれ記してプレゼントする。
「オー・メルシー・ボーク-!」

ナタリーの質問は止まらないが、
ナギはオハイオからの肺炎の回復期で、
また転がるように逆戻りするか、
そのまま回復して行けるかの、
「峠」に立っていた。

「・・・シャワーを使って良いですか?」
「あぁもちろんどうぞ!」

それから二人はパタパタと片付けてくれて、
今まで「ソファー」だった椅子は伸ばされ、
「ベッド」に早変わりする。
ナタリーはタオルも手渡してくれる。

シャワーを浴び二人に「おやすみ」と言って、
ベッドに入る。
本当に長い一日だった。

今朝はまだパリから100キロ離れた、
シルビーの家にいたのだ。
ピュイゾー、オルセー、ジョージV、
サロン・ドートンヌ、兵士の式典、ジェロームとナタリー・・・

次の日は朝4時に起き、
二人を起こさないよう注意しながら、
片足スクワットを50回ずつして、
ヒゲを剃り絵を描く。

朝7時にジェロームがノックする。
「ナギ、用意は出来ているか?」
「イエス!」
準備万端だ。

「クッキーやコーヒーが必要か?」
「ジャスト・コーヒー.」

二人でコーヒーを飲む。
「よし行こう!」ジェロームが言う。
長髪ながらスーツにタイで、
チャラけた所は既に微塵も無い。

ナタリーがアパルトマン前で、
写真を撮って欲しいかどうかを訊く。
本当に細かく人の気持ちを察するのだ。

その後3人は車に乗り込み、
パリの中心部へとハンドルを切った。

020・パリへ「車中」・01・510.jpg

○パリへ!
○To Paris!

(つづく)

++++++++++++++++++++

昨日まで知らなかったのに、
今日は助けてくれる。
世界中に助けてくれる人がいる。
苦しみの中にも歩き続けられる理由です。

更新が遅れて済みませんでした。
次回は2月4日(月)に更新予定です。

では!
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オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」・7話 [旅(Travel)]

パリ・地下鉄「路線図」・510.jpg

○Paris "Metro Map"
○パリ「地下鉄・路線図」

オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」
7話「彼は作家よ!」

◎帰国した次の日にはACDCでの、
プレゼンテーションデー」だ。
パリで右往左往している内にも、
プレゼンが『落ちる』可能性は刻々と高まっている。

焦る気持ちに内から燃やされながら、
初めて乗るパリの地下鉄で、
読めもしない駅名が、
窓外に流れて行くのを見ている。

最初に行くのは「オルセー」に決めた!
「サロン・ドートンヌ」の内覧会が始まるのは、
夕方の5時30分で今はお昼前だから、
まだまだ時間は余っている。

パリの地下鉄で決め手となるのは、
「色」と「終着駅」だ。
各路線に割り振られている、
「色」に注意し「終着駅」が逆にならなければ、
間違いなく到着できる。

この「コツ」に気付いてからは、
何の不安もなく地下鉄の、
路線から路線へと渡って行く事が出来た。

アメリカと違って「銃」は、
誰もが持っている訳じゃない。
20年空手をやっていて、
見かけの10倍は強いし、
度胸を決めれば大丈夫だ!

恐怖が克服されると、
パリの地下鉄が急に楽しくなってきた。

「Place d'Italle(読めない)」、
「バスチーユ(牢獄のあった所だ)」、
「コンコルド(広場だっけ?)」、
と乗り換えついに・・・

・・・「Musee d'Orsay(オルセー美術館)」

駅を出てから美術館までは一本道だ。

013・オルセー「オルセー美術館」・03.JPG

道端で売っているピザが、
食欲をそそるが売場は混んでいて、
この場は美術館への道を急ぐ事にする。

9ユーロ払って中に入り、
駅舎を改造した広い構内を、
多彩な作品に目を奪われながら歩く。

スーラーの「サーカス」や、
ロートレックの「ベッド」、
ドガの「バレエの練習」など、
画集でしか見た事がなかった、
大好きな作品が無造作に飾られている。
特に混雑しているほどでもない。

駅の名残の大時計を通じて、
薄曇りのパリ市街と、
深緑のセーヌ川が見える。

013・オルセー「オルセー美術館・大時計」・04.JPG

美術館の屋根を飾る彫刻が、
強く異国を感じさせる。

013・オルセー「オルセー美術館・彫像」・05.JPG

午後3時半にオルセーを出て、
サロン・ドートンヌ会場のある、
「フランクリン・ルーズベルト駅」に向かう。

014・サロン・ドートンヌへ「フランクリン・ルーズベルト駅」・510・01.JPG

同駅を出るとそこは名高い「シャンゼリゼ通り」だ。
目抜き通りに華やかな店が建ち並ぶ。

しかしアメリカ資本主義に毒された感覚で、
こんな所でも「マクドナルド」に入る。

一つには他のお店は値段が予想できず、
極端に高かったら困るので、
つい値段の読めるマクドナルドに入るのだ。

しかもチーズ・バーガー1個だけを頼み。
囓りながら再びシャンゼリゼを歩く。

物もらいのお婆さんにお金を要求されるが、
キッパリとしかも2度断る。

見るからにお金を持っていないナギに、
なぜ2度も要求したのだろう。
2度目は睨まれるがやむを得ない。

そんな中でも「リュックサック」は、
買わなければならない必需品だ。

3年ほど使った「ブリー」のリュックが、
ドゴール空港で中身を詰め込む時に、
チャックから弾けて壊れてしまっていたからだ。
やれやれ「ドイツ企業」だから買ったのに・・・

シルビーから借りた小さなリュックに、
必要最低限のものを入れて、
めぼしい店を探す。

しかしココでも「ナイキ」だの、
「ベネトン」だの(これはイタリアの会社だが)、
それに「リーバイス」「クイックシルバー」と、
値段の読める店ばかり物色してしまう。

ナイキのリュックが45ユーロ(4500円~5000円)で、
一応候補に入れるが、
『パリでナイキってのも・・』
と思い試しに「クイックシルバー(オーストラリア創業(笑))」で、
値段を訊くと「135ユーロ(13500円~14500円)」。
(当時のレートは1ユーロが100円より少し上)

・・・結局もとに戻って「ナイキ」で、
黒く地味で実用的なリュックを買う。

包装は断ってムキダシで買い、
シルビーの小さなリュックを、
ナイキの大きなリュックに入れてパリを歩く。
これじゃ完全に「異邦人」そのものだ。

014・サロン・ドートンヌへ「ナイキ・リュック購入」・510・03.jpg

ところで「サロン・ドートンヌ」の会場は、
「F・ルーズベルト駅」と「ジョージV駅」の、
中間にあると聞いていたが、
全く見つからない。

シルビーの地図によるとこんな感じだ。

シルビー「サロン・ドートンヌ会場・地図」.・510.jpg

○Silvie's map
○シルビーの地図

判らないままに歩き、
通りの端っこの「凱旋門」まで来てしまう。
逆戻りしながら折々と人に訊くが解らない。

014・サロン・ドートンヌへ「凱旋門」・510・02.jpg

○Arc de triomphe
○凱旋門

「ジョージV」すら過ぎ、
「オベリスク」の針が見える頃になって、
白い仮設の展示場が見える。
『あれじゃないか?』

中に入って訊くと更に先だそうだ。
『似たような展示場だよ。』
イタリア人風の巻き毛の男性が教えてくれる。

何かの銅像ごしに見える交差点の先に・・・

014・サロン・ドートンヌへ「彫像脇を通る」・510・04.jpg

○何かの銅像
○Some statue

・・・「Salon d'Automne」の文字。
ついに見つけた!

シルビーの描いた地図と、
逆っかわじゃないか(笑)!

中に入ろうとすると、
「17時からだ!」と、
門衛のおじさんに押し返されそうになるが、
眼鏡のおばさんがナギの振り回す、
「入選証」を目ざとく見つけ・・・

『彼は作家よ!』と、
門衛を一喝。

ナギは遂に「サロン・ドートンヌ」に入っていった・・・

02・入選通知・510.jpg

○入選通知
○The notification of Salon's winning

(つづく)

++++++++++++++++++++

本当にシャンゼリゼを何回行ったり来たりした事か(笑)・・・
女性の描く地図の怖さを知る人なら、
「そうそう!」と思われる事でしょう。

次回は1月11日(金)に更新予定です。

では!
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オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」・6話 [旅(Travel)]

011・ピュイゾーからパリ「街並み」。01・510.jpg

○From Puiseaux To Paris!
○ピュイゾーからパリへ!

オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」
6話「パリの地下鉄」

◎そもそも「サロン・ドートンヌ」とは、
マチスが開きピカソも出したという、
美術史上に残る展覧会だ。

そうは言ってもナギ自身が、
先年の2011年まで知らなかった。

『彼らは毎年2月に募集しているわ。』
そう言ってくれたのはシルビーだった。

教えてくれた頃には3月だったから、
ちょうど一年後に応募する事になった。

こういう毎年同じ時期に募集し、
最終的に会員になれる公募展は、
日本人にとって馴染み深いものだから、
もっと裾野が広がっても良いのだが、
二つの阻む「壁」があり・・・、
あるいは「あった」のだ。

「フランス語」での応募が、
その阻む壁の一つだ。

しかしコチラは英語応募が可能になって、
グッと軽減された。

残る一つは「輸送費」だろう。
『一体いくら掛かるのか?』
未経験であれば間違いなく、
不安にならざるを得ない事だ。

仲介業者の相場は往復10万円。
それに審査料を5万円付けて、
15万円くらいで請け負う所が多いようだ。

ナギは送る方はEMSを用い、
1万2500円で済んだ。
運賃は「重量」で決まる。

海外から「返送」に掛かる費用は、
通例EMSより3倍くらいは高い。

それでも軽量額「インボルダ」を、
丸一興業と共同開発したため、
2万1000円で済んだ。

合計3万3500円だ。
これならまぁまぁ何とかなる。

これに審査料が4万5000円
(これは高いがコチラでは変えられない
『展示』の所はもう少し安いようだ)。
全合計7万8500円。

だから10万円あればお釣り付きで、
サロン・ドートンヌに応募、発送、返送、
全てが出来る訳だ。

応募から搬入、返却まで、
一連の流れをつかんだので、
落ちた人には1万円返す事にして、
来年はごく僅かな人の依頼のみ、
希望があれば代行してみようか・・・

・・・そんな事を考えている内にも、
ピエールの運転する車は、
夜のパリ郊外を突っ走る。

日本の高速道路のような風景から、
道の両側に高い木が立ち並ぶ、
ホッベマの絵のような光景へ、
そして石畳と石壁の街が表れ、
ヨーロッパそのものの中に、
道は続く。

006・パリからピュイゾー「日本の高速道路風トンネル」・510.JPG

006・パリからピュイゾー「ホッベマ的街路樹」・510.JPG

006・パリからピュイゾー「ヨーロッパ的・石壁」・510.JPG

○From Paris To Puiseaux.
○パリからピュイゾーへ。

後の毛むくじゃら犬が首を舐めたり、
時々ちょっかいを出してくるが、
旅の疲れからいつの間にか眠ってしまう・・・

・・・グイと大きなカーブを切った車に、
席を揺られて起こされると、
そこはもう ピュイゾーの村だ。

008・パリからピュイゾー「教会」・510.JPG

○The church of Puiseaux.
○ピュイゾーの教会

鐘楼があり教会があり、
ピエールとシルビーの家がある。

009・パリからピュイゾー「到着」・510.JPG

○The house of Pierre & Silvie.
○ピエールとシルビーの家。

家に入ると猫が2、3匹出てくる。
建て替え中なのか家のアチコチで、
構造が剥き出しになっている。

ともかく温かいシャワーをお借りしてから、
ローストビーフ中心の夕食を振る舞って頂く。
パンは食卓に直接置くのが習慣だ。

010・シルビーの家「夕飯」・510.JPG

○We took the dinner, anyway.
○ともかく夕食を取る。

食後は大学に入った末娘の部屋跡を、
寝室に割り振ってもらって、
日本の漫画が転がる部屋で眠りに就く
(「逮捕しちゃうぞ」のフランス語版だ)。

010・シルビーの家「日本の漫画」・510.JPG

○Japanese MANGA : "You're Under Arrest".
○日本の漫画「逮捕しちゃうぞ」

明日はきっと困難だろう。
シルビーはパリまでは送ってくれるが、
会場までは付いて来てくれない。
知らない街で知らない所に行く。
フランス語だって解らない。

救いなのは作品が間違いなく、
会場に着いていて、
『額を組み立てるのは簡単だった』
とシルビーが言ってくれた事だった。

010・シルビーの家「寝室」・510.JPG

○Also Today I go to sleep for Tomorrow.
○明日のために今日も寝る。

『今度も落ちなかった・・・』
ギリギリの中で〆切を落とさず、
何とか斬り通った。
明日は明日で悩めば良い。

夜明けと共に置き。
今度はシルビーの運転で、
パリへの100キロを北上し、
名前も発音できない駅に着く。

011・ピュイゾーからパリ鐘楼」。01・510.jpg

011・ピュイゾーからパリ「ホッベマ的樹木」。01・510.jpg

011・ピュイゾ「高速の落書き」。01・510.jpg

011・ピュイゾーからパリ「見知らぬ駅」。01・510.JPG

○From Puiseaux To Paris!
○ピュイゾーからパリへ!

「じゃ私は仕事に行くから、
(午後)7:30にサロンの会場に迎えに行くわ。
そこから今日泊まる友人の家に行きましょう。」

「地下鉄の乗り方はどうするの?」

「切符は下の口から入れて、
上の口から取るのよ。
行き先表示に気を付けて。」

・・・意味が解らない所だらけだが、
忙しいシルビーを、
これ以上わずらわす事も出来ない。

乗った事も無いパリ地下鉄の構内へ、
初めて『おつかい』をする小学生のように、
強い不安に悩まされながら、
トコトコ階段を下りていった・・・

011・ピュイゾーからパリ「地下鉄に下りていく」。01・510.jpg

○パリの地下鉄
○The tube of Paris.

(つづく)

++++++++++++++++++++

パリの地下鉄は本当に不安でした。
ニューヨークなら英語圏だから、
何とかなるけどパリは・・・

次回は12月28日(金)に更新予定です。

では!
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オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」・5話 [旅(Travel)]

004・シャルル・ド・ゴール空港・510.JPG

○シャルル・ド・ゴール空港
野ウサギが沢山いた。

○Charles de Gaulle Airport
There were many wild rabbits in there.

オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」
5話「南進100キロ」

◎39番搭乗口に到着した時、
激しい雨は既に弱まっていた。

関空までの空港バスは、
「豪雨」と呼んでいい程の、
土砂降りの雨に叩かれながら走ったが、
いま雨雲は通り過ぎて行ったようだった。

001・出発「関空」・510.JPG

素晴らしい笑顔のJALの方に、
関空-北京-パリまでの全席を、
通路側にして頂いて日本を離れる。
ご配慮ありがとうございました!

いつの間にか眠り込んでしまったらしく、
航空機の窓から明るい光が射している。
雲を突き抜け上空へ出たらしい。

昨日の用意はギリギリだった。
「リノベル(デザイン道場OB展)」の、
会場設営を昼までだけ手伝い、
サッと帰らせて頂いたが、
それでも旅行準備と雑用を終えれば、
夜の9時を回っていた。

朝3時半に起きてヒゲを剃った。
時々セキ込むが徐々に快方に向かっている。

オハイオ行き前から忙しさで肺炎になり、
前回10月16日デザイン道場の話し合いでは、
一言ごとにセキが止まらない有様だったが、
日にち薬で頻度は減っている。

ただ困るのは「タン」が出る事。
汚い話で恐縮だが、
肺炎になると色付きのタンが出る。

関空-北京-パリの機中でも、
時々セキ込みトイレでタンを吐いた。
吐く度『これが最後のタンだろう』
そう思うのだが常にその願いは叶えられなかった。

機は静かに真昼の北京に着陸する。

002・北京空港・510.JPG

○北京空港
○Beijing Airport

何度か北京に降りると、
『前に見た事があるような・・・』
そんな係員が大勢いる事になる。

乗り継いだパリ行きは3人席だが、
隣と隣のその隣すべてが空席だった。
これはありがたい。

離陸は30分遅れの14時。
座れば眠る習慣は相変わらずで、
地面から宙に放たれる瞬間には、
目を開けておく事も難しい。

フト目が覚めて窓側にいざり、
見下ろすと砂漠が拡がっている。
どこの砂漠だろう?

003・「中国砂漠」・510.JPG

○どこの砂漠だろう?
○Where is this desert?

機内では飲み物が配られている。
最初は空調温度が寒すぎたが、
交渉すると温度を上げてくれて快適だ。
中華航空は基本的に親切だ。

機内ではデザイン道場の3分プレゼンを、
ひたすら考える。
25分考えて5分休憩して歩き、
また25分考える。

6時間が経過して、
日本時間での20時30分、
3列席を全部つなげて、
少し眠る事にする。

エコノミーで足を伸ばして眠れるのは、
幸運と言っても良いだろう。
もっとも2時間後には、
機内食の時間となり起こされた。

窓外を見下ろすと雲海が拡がっている。
あと2時間でパリだ!

その内に田畑が見え始め、
フランス語を話す人達がいる土地が見える。
それを本当に不思議に感じる。

003・初めて見た「フランスの国土」・510.JPG

確かに土の色は多少、
日本と違うかも知れないが、
良く似ているとも言える。
でも文化は全く異なる人が住んでいるのだ。

いや文化も実は同じ事が言えるのかも知れない。
気付かないうちに空には半月が見えていた。

滑走路が見えてからも、
機はしばらく平行を保ち滑るように、
シャルル・ド・ゴール空港に着陸する。

通関まではブルカを被ったご婦人が、
5人もの子供を連れている後に並び、
ひたすら待ってハンサムな係員の前へ。

「ボンジュール・オフィサー。」
「ボンジュール。」
何度か顔とパスポートを見比べ、
ポンポン判子を押して簡単に通る。

荷物を取って外に出ると、
60歳代の夫人が手を上げ、
笑顔でこちらに近付いてくる。
「シルビー」だ。

実際に会うのは初めての、
FBの友人だが、
非常に陽気なご婦人だ。

・・・事前の予定では、
パリに住むシルビーの友人が、
ナギを泊めてくれるハズだったが・・・

『私たちは予定を変えた。
友人は忙しいから、
今夜は私たちの家に行こう。』

・・・と言って夫(だとこの時は思った)の、
ピエールを紹介してくれる。
ピエールも60歳代に見える、
愛想の良い男性だ。

英語は基本的に話せないが、
「ナイス・トゥー・ミーチュー」
と言い交わしたあと車に乗せてくれる。
車には懐いてくる毛むくじゃら犬もいる。

「それでシルビー、
家までは何キロくらいあるの?
10キロくらい?」

「100キロくらいはあるわよ。」
「・・・」

ここから夜の「南進100キロ」が、
3人と1匹で始まった。

005・パリからピュイゾー「トンネル」・510.JPG

○南進100キロ
○To south, 100 kirometers.

(つづく)

++++++++++++++++++++

ドゴール空港は薄暮の中、
野ウサギが沢山跳ねていたのが、
印象的でした。

次回は12月21日(金)に更新予定です。

では!
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オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」・4話 [旅(Travel)]

014・ナイト・ドライブ「車中」・510.jpg

○空港へ夜のドライブ
○The night drive to the airport

オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」
4話「イッツ・マイ・オナー、イッツ・マイ・プレジャー」

◎スコット夫妻と夕食を共にした翌日も、
朝4時には起床し、
6時キッカリに朝食を食べ、
8時からは空港周辺を走る。

昨日の雨はもう上がっている。
8時少し前に走り出したから、
8時丁度になるとトランペットが鳴り、
州軍の朝礼が始まる。

遠くの方に豆粒ほどのF16が、
並んで停まっているのが見えた。

アメリカの空間が遮られる事なく拡がり、
その中を走っていると肉体の苦しみと共に、
可能性の有機的な繋がりが、
拡がる空間と痛む肉体との間に、
確かに存在している事を、
知識ではなく走るという行為をもって体得し、
納得する事が出来た。

可能性を実現する信念は、
行動によって実体化していく。
何としてでもやり切らねばならない。

「デイズ・イン・トレド・エアポート」に戻り、
帰りの用意をリュックとキャリー・バッグに、
振り分けて詰め込んで、
9時20分から30分までの10分で、
食べ放題の朝食を「昼食」として再び食べ、
服を着直して受け付けまで走り・・・

「9時45分に空港行きのバスを予約しています。」

・・・と笑顔で挨拶する。

受付は極端に太った女性だ。
だが素晴らしい笑顔を見せるやいなや・・・

『空港に行っています。すぐ戻ります。』

・・・という案内板を受付に掲げる。

『エエ!この女性が運転するのか!!』
ナギは思わず驚く。
もちろんそうだ彼女こそ担当者だ。

車寄せに着けた彼女に・・・

「サンキュー!ハヴァ・グッデイ!」
「ユートゥー!」

・・・素敵な笑顔を残して、
サッと受付へと帰っていく。

エア・チケットの換券では、
相変わらず「痛風」の説明をし、
シカゴと成田までは、
「通路側」を取ってもらう。

「最後の東京-大阪間だけ窓側だけど、
東京で換えてもらえるかも知れない。」
「大丈夫、東京-大阪は1時間だけだから。」

鉛筆のようなアメリカン・イーグルの、
最後尾に座り窓の外を眺めていると・・・

(この飛行機は左1列、右2列。
つまり左側に座れば「通路側」であり、
「窓側」でもある。)

・・・黒人女性の客室乗務員が、
「漢字(チャイニーズ・キャラクター)」で、
名前を書いて欲しいと頼んでくる。

「私は中国人ではなく日本人です。」
「あらじゃあ日本語で書いて。」

カタカナで「エルジン」と、
コースターに書くと、
一応喜んではくれるが、
やはり漢字の方が良かったようだ。

女性をガッカリさせるのは、
避けたい所だ。
そこで「絵留人」とまるで、
「夜露死苦」と書く暴走族みたいに、
初日に食べたマクドナルドの包みに書いて、
降りがけに渡してあげる。

015:トレドからシカゴ「エルジン」・510.JPG

○客室乗務員の「エルジン」へ
○For a flight attendant "Elgin".

今度は心から喜んでくれる。
「ハヴァ・グッデイ!」

差別意識の強そうな白人女性が、
「ベリー・ファニー」と吐き捨てた。



・・・雨の中をスコット夫人が先導し、
近くのレストランまで食べに行く。

遠くから来た客を、
「ご馳走もせずに帰すのか!」
と怒る人は日本の田舎にもいるが、
スコット夫人もやはりそうだった。

スコットが「うっかり」ナギを帰した後、
夫人を始め周りの人が、
真剣に引き留めてくれのは、
やはり嬉しいものだった。

もちろん迎えに来ていたタクシー「トム」には謝る。
「気にするな。」トムは街を流しに帰って行く。

さてギャラリーを閉めて「レストランへ!」
・・・というキワに男女二人組が、
ギャラリーに入ってくる。

スコット夫人はこっそりと肩をすくめてみせる。
『お客さんはいつだって大事さ』と小声でナギ。
『ザッツ・ライト!』と夫妻。

二人が帰った後で、
生演奏が聴ける近所のレストランで、
スコット、夫人、ナギ、の3人で食事をする。

013・レストラン「生演奏」・510.jpg

○ギャラリー近くのレストラン
○The restaurant near from the gallery

「じゃあナギ、講師っていうのは、
何の講師なの?」
「ドローイング(デッサン)です。」

「じゃあ、あなたは『フルタイム・アーチスト』なのね?」
「そうです。
でも『制作』は時間全体の25%で、
あとの75%は交渉や指導に追われています。」
「ギャラリー運営もそうよ。」

スコットは本来作家であり、
夫人は実質上の経営者だから、
三者とも深く納得する。

「景気は少しずつ良くなっているよ。」
とスコット。
アメリカはそうだろうが日本は・・・

「それでナギ、正直に訊きたいんだけど、
日本人はアメリカをどう思っているの?」

ついにこの質問が来る時代が来たか・・・
ナギはある種の感慨に打たれた。

ある人やある国が他者の評価を、
気にするようになった事は即ち、
良くも悪くもその力が衰えた事を意味する。

中国が他者、他国を気にせず、
横暴の限りを尽くしている事は、
今現在でも目にする事ができるし、
日本のバブル時代もそう。
ベトナム戦争前のアメリカもそうだった。

だから自分や自国が自分自身を、
省みる必要に迫られる事は、
決して悪い事ばかりではない。

人間と国は体力と金があり余るような、
若く分別の無い時代を脱して初めて、
成熟した本当の立国への道を歩む事が出来るのだ。

「日本人の半分はアメリカを支持していると思う、
でも半分は残念ながら支持していないと思う。」
そう答えると、
夫妻は半分意外そうな半分予期していたような、
そんな微妙な表情を見せた。

もちろんナギは基本的に支持している。
なぜなら民主主義とは「建前」だからだ。

中々実現の難しい民主主義の、
「建前」を共有する事で、
私達はそれに近付いて行けるからだ。

最初から「建前の無い国」であれば、
地下資源が見つかってから、
『尖閣諸島は自国のものだ。』と言えるし、
第二次世界大戦が終了してから、
『竹島は自国のものだ。』と突然、
攻め込む事も可能になってしまう。

大事なのは各国が「民主主義」という、
世界最大の「建前」をいかに共有するかだ。
「本音」は色々あるに決まっている。

建前を共有せずに本音をむき出し、
「アメリカすなわち悪」であるといった、
幼稚な論を大手を振ってまかり通させ、
原発への冷却剤注入を断り、
地震のみの被害を、
原発事故に変えてしまったという、
将来に対して償い切れない、
大災害を引き起こした事は記憶に新しい。

アメリカすなわち悪だって?
悪に決まっているだろう!
お互いはお互いの国とって悪である。
これが「当たり前」の大前提だ。
「人は人にとって狼である。」
と古来から言うではないか。

しかしお互いを貫く民主主義が、
自国のみの利益を超えて、
各国の行動を制限、抑制し、
利益の重なる部分において、
立場の強弱はあっても、
「建前」を盾として交渉を可能にするのだ。

だからナギは民主主義という、
「建前」を共有できる国、
アメリカを基本的に支持している。

「私たちはこれからお互いに、
回復して行かなくちゃならない。」

そう言うと夫妻はようやく、
安心したようだった。

ホテルまで送って頂き別れる時に、
夫人が改まった姿勢を作って手を握り、
「私たちはあなたをお迎えできて光栄でした。」
と言ってくれた。

「オー!
イッツ・マイ・オナー。
イッツ・マイ・プレジャー。」

私たちはニコッと笑いあい、
「シーユー・ネクスト・イヤー!」
とお互いに言って別れた。

さぁ次はフランス「サロン・ドートンヌ」だ。

16・シカゴ空港「国旗」・510.JPG

○シカゴ・オヘア空港
○Chicago O'Hare International Airport

(つづく)

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オハイオ・パリ・ACDC・「2012年10月には」の、
オハイオ編は今日で終了です。
次回からのパリ編をお楽しみに!

次回は12月17日(月)に更新予定です。

では!
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